広報ひゅうが平成30(2018)年9月号

笹野の関所跡


笹野の関所跡に建つ石碑


 関所は、交通の要所に置かれた徴税や検問のための施設で、街道筋に置かれたものは「道路関」、海路に置かれたものは「海路関」と呼ばれたほか、津口(港の出入り口)や河川の合流地点や渡し場などに置かれた「番所」も関所の一つに数えられています。
 さて、慶長15年(1614年)に、肥前国日野江藩から延岡へ入封してきた有馬直純はキリシタン大名として知られています。直純が奥方に迎えた日向御前は徳川家康の嫡男岡崎信康の孫で、家康は彼女のことを溺愛しており、嫁ぐ時には2000石を「化粧料」として与えたと言われています。
 また、夫の直純は、藩内の各地に関所を新設して、そこから得た収入を日向御前の「沐浴料」として使うようにしました。
 ただ、これが額面のとおり「沐浴料」となったのかどうかは不明で、直純が新たな税を取り立てるのに日向御前を利用したのではないかとも考えられています。
 さて、そうして新設された関所は、高千穂、日之影の波帰など11か所で、日向市内では「高鍋藩境」の「笹野」に関所が置かれました。
 笹野の関所は、今の国道10号線とJR南日向駅(南日向公民館)に通じる市道との交差点・平岩横断歩道橋の付近にあって、明治10(1877)年に起きた西南戦争の際には、官軍が占拠して、初木や鵜毛、日ノ平方面の山中に逃れた薩摩軍兵士を追討するための拠点として利用しています。江戸時代に置かれた関所の跡に明治新政府の軍隊が駐屯したのも歴史の皮肉と言うべきでしょう。

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