広報ひゅうが平成30(2018)年6月号

日向市庁舎の歴史


新庁舎完成を伝える広報ひゅうが


 新しい市庁舎での業務が開始され約1か月が経過したところですが、今回は、市庁舎と周辺の歴史について紹介します。
 市庁舎のある本町一帯は、江戸時代に「富高新町」と呼ばれ、日向国天領の中心的な役割を担う「富高陣屋」が置かれていました。この陣屋の建物について、詳しいことは分かっていませんが、維新後の明治4(1871)年7月に廃藩置県が行われると旧日向国天領の町や村は「富高県」に組み込まれ、陣屋の建物に「富高県役所」が置かれています。やがて、同年8月に富高県が「日田県」に合併すると陣屋の建物は「日田県所轄富高御役所」の庁舎となっています。
 その後、同年11月に大淀川を境にして北に「美々津県」、南に「都城県」が設置され、明治5(1872)年2月には、当時、美々津にあった高鍋藩の御仮屋に美々津県庁が置かれましたが、手狭との理由から、同年7月付けで富高陣屋跡に移転しています。
 明治6(1873)年1月、美々津県と都城県が統合し「宮崎県」が発足すると、県庁は宮崎郡上別府村に置かれ、富高の美々津県庁は廃止されました。
 ところで大正5(1916)年には、富高新町と陣屋の周辺に東臼杵郡立富高農業学校が設立されています。後に同校が日知屋へ移転すると、校舎はそのまま日向市の庁舎として利用されていたのですが、昭和38(1963)年1月16日、午前1時頃に起きた火災で全焼してしまい、翌年の昭和39(1964)年に現在の旧庁舎が完成しています。
 この庁舎は高度成長期直前のモダンなデザインが特徴で、周辺の街並みもしだいに近代都市として整備されていきました。
広報ひゅうが<庁舎落成特集号>(昭和39年12月)
 このほど完成した「平成の新庁舎」も市民の皆さんと一緒になって、れからのまちづくりに大きな役割を果たしていくことが期待されます。
広報ひゅうが<市役所新庁舎が完成>(平成30年4月)

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