広報ひゅうが平成30(2018)年2月号

西南戦争と日向市


幸脇飯谷にある「西南戦争激戦地之碑」


 今年の大河ドラマは「西郷どん」。幕末から明治維新にかけて活躍した西郷隆盛が主人公で、地元の鹿児島をはじめ、県内各地に残るゆかりの地が脚光を浴びています。
 西郷隆盛は、陸軍大将を退いた後、鹿児島へ帰り、子弟教育に力を尽くしていましたが、明治10(1877)年に起きた西南戦争で、薩摩軍の総大将として熊本・宮崎の各地で戦い、鹿児島の城山で自ら命を絶ったことから、悲運の名将として知られています。
 本市にも西南戦争の戦跡があり、特に美々津・平岩・冨高新町(現在の本町付近)は薩摩軍の部隊が通過していることから、各地に「塹壕(ざんごう:砲撃や銃撃から身を守る穴や溝)」や「台場(だいば:幕末に設置された砲台)」の跡が残されています。
 また市役所東側にあった旧佐藤医院は西郷隆盛が宿泊した所と伝えられており、今の幸福神社周辺では西郷が愛犬を連れて散歩しているところを見かけた人がいると、市指定有形文化財「正法寺年中日誌」にも書かれています。
 特に本市における西南戦争最大の激戦地は美々津から坪谷にかけての地域で、耳川や坪谷川の北岸に薩摩軍が陣地を構え、南岸の要所には官軍が砲台陣地を配置して、激しい攻防戦を繰り広げました。
 現在、余瀬区に「薩軍墓地」と呼ばれる場所があり、西郷の孫にあたる西郷隆秀さんらが建立した供養塔と、その周辺には無銘の墓塔が散在しています。
 このように、案外、皆さんの身の回りにも西南戦争や西郷隆盛に関する遺跡や遺品があるかもしれません。

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